「横浜学 ~横浜とビール~」の感想 - 恰幅の良い彼のblog
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「横浜学 ~横浜とビール~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座「横浜学」。

第15回目のテーマはビールです。

告知ポスターにさ
「本当は飲みながら話したい」的なことが書いてあって!
なら、やれよ!!と叫びかけたよ!

DSCN0034.jpg

一人目は高知工科大学の先生で専門は企業史。

たぶん、キリンのツテなんだと思うんだけど
ここ数回は学者枠が関学から出てなくて、大丈夫なのかと心配しちゃうな。

お話はビール産業のことはじめです。

開港以降の横浜は全国の貿易量の2/3を担う
国際貿易都市へと成長していきます。

外国人居留地も作られ、彼らの生活のために、
食肉、パン、野菜、乳製品など様々な物品が運び込まれ、
西洋文明流入の最先端の地でもありました。

ビールもその一つ。

ちなみに国内における記録では1727年の「和蘭問答」にて、
出島経由で献上されたそれが古く、マズいという評だったようですよ。
また川本幸民という蘭学者が自宅での醸造を試みています。

横浜における日本初は産業としてのビール醸造ということみたいです。

1869年 「ジャパンブルワリー(初代)」
1870年 「ヘフトブルワリー」 「スプリングブルワリー」

山手にできたこの3つの醸造所がその萌芽といえますが、
ジャパンとヘフトは早々に廃業してしまったみたい。

「スプリング・バレー・ブルワリー」は
米国人のウィリアム・コープランドによって設立され、
14年間にわたってビールの醸造を行います。

製品は馬車で市内各所に配達された他、
東京や関西、遠くは上海まで出荷されていました。

コープランドは、ビールの原材料の卸をしたり、技術指導も行い、
日本ビール産業の祖ともいわれています。

その後、経営トラブルにより廃業したスプリングバレーの跡地に
前述とは違う「ジャパンブルワリー」が設立されます。

これはスプリングバレー再建のため、
グラバー等の在留外国人たちが投資を募り、
三菱の岩崎弥之助や渋沢栄一が加わったものです。

ドイツの職人や設備を揃え、本家本元の味をアピールした商品。

後に「明治屋」と販売の専属契約を結び、
1889年にはすでにキリンのラベルの原型が生まれています。

世間ではビールのような西洋の消費財市場が拡大しており、
「明治屋」は横浜駅に専門の食堂をオープンしたり
様々な媒体を使った広告でて、今日の魁となる拡販を行っていたようです。

1887年 「日本麦酒(エビス)」「札幌麦酒(サッポロ)」
      「丸三麦酒(ミツカン)」
1889年 「大阪麦酒(アサヒ)」等

その後、醸造所も全国で120箇所を超えて作られますが、
酒税法の改正などにより再編が行われ、20社ほどに減ります。

さらに日本、札幌、大阪の3社が合併し、シェア6割を越える
「大日本麦酒」が国策的に生まれて、業界の様相は変わってきます。

「ジャパン・ブルワリー」は独自路線を取るという「明治屋」の判断もあり、
買収には応じず「麒麟麦酒」として、本場の味路線を継続していくのです。

DSCN0035.jpg


二人目はキリンビールから工場見学の講師の方。

お話は開業90年になる生麦工場のお話です。

山手の「スプリングブルワリー」跡にあった「麒麟麦酒」の工場ですが、
関東大震災で壊滅して、移転することになります。

この際、地元横浜の経済界からも引き止められ、居を移したのが生麦。

ドイツに派遣していた浅見技師らにより、
当時、世界でも最先端だった設備と技術が導入されます。

当時のビールは茶色の濃い濁ったようなもので苦味も強かったのですが、
新工場の技術で、初めて”Greenish Yellow”という
琥珀色の澄んだ商品が作れるようになりました。

ビールの命である酵母は社内で800種ほど研究しているのですが、
生麦工場のどこかにある酵母バンクの場所は社員にも秘されているのだとか。

近年、クラフトビールの流行で、地域に根ざした商品が注目されていますが、
キリンでも1986年に開場の味を再現した神奈川県内定の復古ビールを販売。

1991年からは新工場記念として「浜きりん」を販売して、
試みはまず横浜から始まり、全国へという流れになっているみたいです。

来年には47都道府県それぞれの限定ビールを販売する予定。
全国9工場の醸造長がレシピを開発しているみたいですが、
横浜のそれはアルコール度数が高く、濃い味になる予定だそうですよ。

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三人目は「横浜ビール」の社長で地ビールのお話。

そういえば元々は下着の「シャルレ」の事業だったんだよね。

それを居抜きで受け継いだのが始まりで、
当時は正直、地ビール志向でも何でもなかったみたいです。

むしろ、旅先で初めて触れたそれは、
マズいし、高いしで、全く良い印象が無かったとか。

現在は”街のビール屋さん”を目指して、
地元のビールを地元の食材とともに地元の人々へ届けようとしている。

例えば”綱島桃エール”という商品。

綱島はかつて桃栽培が大盛んであったが、今も続けるのは一園のみ。
幻となった、この日月桃の間引き品などを使って仕込んだビールは
地元の方々も楽しみにしており、ヨーカドーから大量の注文を受けるそうです。

地元の産品を加工して地元に返すこと。
ビールを通して自分の街を知ってもらい、街に誇りを持って欲しいとのこと。

地産地消というのは単なるモノの流れではなく、人と人のつながり。
生産者の想いを聞いて、ものづくりに活かしていきたいということで、
社員皆で作業のお手伝いに行ったりするそうです。

その他”瀬谷の小麦ビール”や水源地である道志村との交流など。

たぶん各所で話されている内容で、
キーワードの耳障りは良いんだけど、
一歩突っ込んだ奥のところがよく見えない感じかな。

横浜地産地消ネタで、いろんな人との付き合いが楽しそうだけど、
実務は下で働く人に丸投げなんじゃねーかっつー気もする。


最後のパネルディスカッションでは
クラフトビールブームで商品や情報は豊かになっている一方で、
ビール離れが指摘されている状況について投げかけられ、

キリンは、お店飲みだけでなく、オクトバーフェストのようなイベント性、
味を引き立てるウンチクの楽しさを知ってもらったり、
商品開発に声を活かし、一体感を深めたりすること。

社長は、味よりも商品のあり方やストーリー。
という回答をされていました。


やっぱね、飲みながらやるべきだったね!

次回のテーマは「橋」だって。
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2 Comments

伊藤 さんのコメント...
この講座、僕も行ってメモをとっていたのですが、
登壇者の方々の話す内容にペンが追いつかず、
メモすれば聞き取れないし、
聞き取ればメモできないという、
残念な時間になってしまっていました。
恰幅さんのレポートで再聴講できた気分です。
すっきりしました。ありがとうございます。
2015.11.14 | #LkZag.iM [edit]
管理人 さんのコメント...
>伊藤さん
現地ですぐ近くに座って居たかもしれませんね。
実は私も先生のお話を忠実に再現できているわけでなく、
勝手に編集したり、加筆したりもして、テキトーです。
やはり話すのと、書くのでは流れやまとめ方が違ってきますよね。
2015.11.14 | #- [edit]

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