「横浜学 ~横浜と英国~」の感想 - 恰幅の良い彼のblog
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「横浜学 ~横浜と英国~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座。

聴いたらすぐ書くというのが、
ブログ界の基本姿勢なのですが・・・

面倒で、面倒で、面倒で、ついつい先延ばしにした挙句、
次回開催直前にやっつけるという、この体たらくであります。

さて、第7回目の今回のテーマは「横浜と英国」

これまでは関学の先生をコーディネーターとして、
市井からのスピーカーを招く構成だったのですが、
今回は3人共、身内という布陣。

学部長による国際文化学部新設のPRから始まったり、
学校関係の聴講者も多いようで、もうほぼ関学の講座だよな。

いよいよ横浜ウォーカー色が薄くなっているような・・・

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一人目は港湾史の小林先生。

実は初回「横浜と港」の時にも登壇されており、
内容もブラントンとパーマーということで、かなりかぶってました。

明治の文明開化の礎として活躍した”お雇い外国人”
最も多かったのは、英国人だったようです。

仏が幕府と結んで、存在感を薄めていったのに対し、
長州ファイブなど、新政権は英国留学組が多かったこと。

ペリー来航など、開国圧力において存在感を示した米国も、
南北戦争で手一杯になってしまったことが影響しているみたい。

中でもブラントンは横浜の地に多くの業績を残します。

居留地の測量、電信、トラス鉄橋、マカダム式舗装道路
暗渠式地下水道、灯台の修技校の設置など。
横浜公園や防災道路たる日本大通りも彼の仕事。

元々は鉄道の仕事をしたい人だったらしいのですが、
本国にはすでにあまねく鉄道網が敷かれ、活躍の余地がなかったんですね。

そこへ日本から灯台技術者を求める声があり、
ほぼ一夜漬けでその技能を詰め込んで、新天地に向かったんだって。

パーマーは英国陸軍の工兵将校。
当時、掘ると塩水が湧いた横浜の地へ、
道志川から野毛山に至る横浜水道を引いてきた近代水道の父です。

その後は横浜の港湾施設の整備にあたり、
現在もドックヤードガーデンとして残っている横浜船渠等、
横浜港の基礎を作る業績を残しました。

再度の聴講でしたが、聴いていて楽しく。
この先生に習えた学生はラッキーだなと思いました。

140622 003

二人目は英国のスポーツを研究する岡田先生。
若手のイケメン准教授であります。

あれ、スポーツもちょっと前にやったような・・・

さてさて、”スポーツ”という言葉は、
元々娯楽や気晴らしの意味だったみたい。

今日のように競技的性格が付与されたのは19世紀から。
チームスポーツが整備され、リーダーの素養を磨く教育として、
パブリックスクール等で盛んに行われるようになっていく過程でのこと。

英帝国が版図を広げるに伴って、スポーツ文化も世界へ。

日本へ輸入されたスポーツ文化の最古の記録は、
1866年、横浜に遊歩道ができたこと。
散歩や散策もスポーツだったんだね。

ちなみに山手のブラフは他のアジア国に比べ、
湿度が低く過ごしやすかったこともあり、
本国にはなかなか帰れない極東駐在員達の、
ちょっとしたバカンスにも利用されていたみたい。

同年、英軍人によって横浜フットボールクラブが設立。
この頃はまだサッカーとラグビーが混じったような競技だったんだけど、
本国で生まれて3年しか経っていないうちに日本へも来ていたのか。

1868年には英商人のモリソンやプライスによって、
YC&ACの母体となった横浜クリケットクラブが設立。
1872年には横浜公園にクリケット場も整備されたんだけど、
はるばる本国からプロ選手を呼び寄せて、マヂ試合をしていたんだって。

こんな風に日本にはかなり早い段階から、
本格的な形でスポーツが入ってきていたみたい。

逆に日本から英国に渡り、ブームになったのが柔術。
1899年ピアソンマガジンに”バーディツ”として記事になったのが初め。

これはウィリアム・バートン・ライトという人が、
日本滞在中に目にした武術を元に作った護身術で、
師範として谷幸雄らを招聘し、道場を開いたんだって。

ちなみに当時の道場は通信教育が主体だったらしいんだけど、
経営は上手く行かず、早々に潰れてしまったらしい。

ただ、バーディツは「シャーロック・ホームズ」にも登場する他、
様々な文学や雑誌に紹介され、一大ブームになったそうな。

谷らもミュージックホールなどでの興行を行い、
勝てたら賞金を出す仕組みで挑戦者を募り、
レスラーやボクサーなどの強者を次々倒して話題になったんだって。

このブームの背景には日清戦争があり、
日本が中国を倒す姿が、小男が大男を投げる柔術と被ったよう。

やはり、時間が短く、かなりの駆け足だったんだけど、
お話は非常に面白かったよ。

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三人目は英国政治外交史の君塚先生。
お話は英国王室と横浜の関わりについて。

1869年、日本初の国賓として来日したのが、
ヴィクトリア女王の次男であったエディンバラ公アルフレッド。

横浜港に上陸して、今の浜離宮、延遼館に宿泊。
明治天皇に謁見して、各種古典芸能などの饗応を受けたんだそうな。

当時はまともな西洋料理もなく、茶菓での接待。
外交儀礼も整っていない状態だったので、相当苦労したみたい。

1881年にはのちに君主となるジョージ5世とその兄エディ。
この頃にはプロトコルも整備され、晩餐会なども開かれた模様。
彼らは日本のご飯をいたく気に入ったんだとか。

また、滞在中はポニーで鎌倉や江ノ島を見て回ったみたい。

この後、世界大戦などでしばらく日英関係が冷え込み、
1975年になって初めて現役の英国君主を迎えることに。

エリザベス2世が昭和天皇訪英の答礼として訪日。
宮中晩餐会の他、政財界との相次ぐ饗宴で英国ブームに。

この際、多忙の合間を縫って保土ヶ谷にある
英連邦戦死者墓地を訪れたんだとか。

ぶっちゃけ、横浜って上陸港でしかなくて、
日本と国賓来日した英国王室のお話だったわ。

ちなみにこの先生はザマス系でいかにもだったよ。


今回は講師や内容のかぶりがだいぶあったし、
英国のカウンターパートとしての横浜の弱さだよね。

個々のお話は良かったんだけど、
テーマがざっくりすぎて、3本を通したストーリーは見えなかったな。

あと、最後に横浜の中の英国を巡るマップとか、
イケてるパブとかの紹介があってもいいような気もするんだよ。
せっかく横浜ウォーカーがやってるイベントなんだからさ。

次回は・・・なんだっけか。
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-2 Comments

さんのコメント...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.08.14 | # [edit]
管理人 さんのコメント...
>秘密さん
サンキュウ、そして、ツッコミが細けぇ!
2014.08.14 | #- [edit]

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