「横浜学 ~横浜の住まいと文化~」の感想 - 恰幅の良い彼のblog
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「横浜学 ~横浜の住まいと文化~」の感想

毎度、タイミングを逃しまくったレポで恐縮ですが、
関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座を聴きに行ってきました。

なんと、もう6回目ですか・・・

私的には軽い気持ちで手を出してしまったものが、
予想以上に続いてしまって、完全に退き時を見失った感じっす。

泣き言はさておき、今回のテーマは
「横浜の住まいと文化 山手洋館と元町」

前回が「横浜の建築とその活用」ということで、
ネタがぶっかぶってねーかと心配しつつの受講です。

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まずは住居学が専門の関学教授のお話。

開港以降、多くの外国人がやってきた関係で、
居留地は丘陵地域に拡大、山手は多くの洋館が立ち並ぶ街になりました。
当時開発された街の骨格は今でもほとんど変わっていないようです。

山手にはパンや牛乳、ビール、洋裁や理髪、クリーニング、家具等
今や日常生活に欠かせない様々な発祥の記念碑が多く残っており、
日本における西洋生活の基礎がここで育まれたことを示します。

当時の洋館建築で特徴的なものの一つが、コロニアル様式。
蒸し暑い植民地の気候にあわせ、建物の周囲にベランダを巡らせたもので、
長崎のグラバー邸なんかが代表例。

ちなみに明治中期以降はこのべランダを、
サンルームなどとして、室内化していく流れになるんだって。

ただ、毎度のことながら、関東大震災で山手の洋館も壊滅。
当時の姿や生活を知る手がかりは、ほぼ無くなってしまったんだそうな。

仮に写真や絵画で外観が残っていたとしても、
どんな間取りで、どんな家具を使って、どんな生活を送っていたのか?
現在、洋館で再現されている部屋も、想像で補うしかない部分があるようです。

ちなみに数少ない資料からは和を取り入れたオリエンタルな内装や、
日本の職人による家具の姿も確認できるみたい。

洋館の家具については、元々本国から運んだものが主流でした。
それを修理する過程を通して、ジャップでも作れるじゃん!てことになり、
今でも残る元町家具の源流となっていったんだって。

それまで日本人はふすまで仕切る住居で暮らしていたわけですが、
洋館文化が入ってくることで、住まいの構造にプライバシーが導入され、
さらに公園など公共スペースを含めた住環境の概念が育くまれました。

応接室や書斎を洋風、生活の場を和風に分けた
洋館付き住宅も西洋化の過程を知る特徴的な建築です。

なるほどなるほど、建物の外観や意匠だけでなく、
内部構造や調度から、当時の生活風景を探るという部分がなかなか面白く、
もうちょっと突っ込んで聴きたかったお話でした。

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2人目は「タカラダ」の専務。
山手の西洋生活を支えた元町商店街のお話です。

商店街は山手の外国人相手に自然発生的に生まれたもの。
タカラダも元々は家具屋さんだったらしいよ!

外国人が持ち込む落書きのようなスケッチから、
試行錯誤しながら家具を再現していくような作業もあり、
それらをこなしていった日本の職人技も大したもんだったみたい。

二代目は短期滞在者用向けに家具のレンタルを始めたり、
日本初の冷凍庫付き冷蔵庫を作り「不二家」と組んで、
ソーダファウンテンも経営していたアイデアマンだったそうな。

元町は元々地盤が強くて、大震災の揺れは乗り越えたんだけど、
横浜大空襲で一帯は焼け野原になってしまいました。

タカラダのは店も商品も全て無くなっちゃったんだけど、
防空壕の奥に幾ばくかの食器が残っていたのを、
試みに売り始めてみたのが、食器扱いの始まり。

これが米軍人相手によく売れ、
ノリタケ等の食器メーカーが商品を融通してくれて、
再起につながったという、バイタリティ溢れる戦後ドラマだよね。

進駐軍人や客船の観光客等、外国人が多かった頃の元町では、
店員も英会話教室に1年通ってからじゃないと働けなかったんだって。

専務の育った昭和の元町には商売の顔たる表通りと、
商人や職人達の生活の場としての仲通りと2つの風景がありました。

ハマトラなんかも、元町住民にとってはごくごく普通のカッコが、
ある日突然、流行の最先端になり、あっという間に時代遅れになって、
わけも分からず、参ったわ~ってお話が面白かったね。

商店街としても50年以上の歴史があるチャーミングセールの前に、
日本初のクリスマスセールをやってたり、先進的に取り組んでいたみたい。

役所の移転で元気の無くなった神戸の元町なんかも見ながら、
今もいろいろ危機感持って頑張ってますって言ってたよ。

元町の歴史に関しては、資料も多くは残ってないんだとか。
古老達も過去を振り返るより、これからの話をしているってとこがカッコイイ。

こちらの内容も面白く、時間が足りなかったよ。

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三人目は横浜シティガイド協会の副会長。
いかにも手慣れたガイドといった矍鑠とした方だったわ。

シティガイド協会は外部から流入者の多い横浜の地で、
市民を対象に、地元をより深く知ってもらうべく活動しているんだって。

お話は途中とっちらかってしまったんだけど、
コクリコ坂にいろいろ出てましたねってネタと、
山手の洋館で暮らした米人女性の書いた「横浜ものがたり」の紹介かな。

この女性はドロシー G. ウェイマンて人で、
モースの描いた日本に憧れ、夫の仕事に伴われて来日。
当時の山手は白人居住圏で西洋とあまり変わらない生活風景だったので、
素朴な日本の生活に触れるべく、まだ漁村であった本牧に居を移したりしたんだって。

まぁ、ざっとこんな内容でした。

相変わらず、横浜ウォーカー側の要素が見えないのが残念ですが、
今回の講座は、山手の洋館を軸にちゃんと話がつながっていて、
なかなか良いコーディネートだったと思います。

次回は「横浜と英国」だってさ。
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