関東学院大学×横浜ウォーカー「横浜学 ~横浜の港~」 - 恰幅の良い彼のblog
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関東学院大学×横浜ウォーカー「横浜学 ~横浜の港~」

関東学院大学と横浜ウォーカーがコラボして、
地元横浜ネタの公開講座を開講していく企画が始まりました。

「横浜学~ヨコハマ・再発見=Yokohama Trivia~」

かなり前ですが、聴きに行って来ましたので、ご報告をば。

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初回のテーマは「横浜の港」

なんか、漠然とデカすぎるような気もしますが、
講師は開港資料館副館長と、日本郵船博物館長、
港湾史が専門の関東学院大名誉教授の錚々たるお三方です。

それぞれ30分、15分、15分という、酷な持ち時間でさ。

もはや表面をなぞるだけで精一杯といった感じだったけど、
流れもあり、ちゃんとエッセンスを掻い摘んであって、
さすがに手馴れてるなぁと感心した次第です。

聴講者層は同様の講座と変わりなく、
ヒマを持て余しているようなオールドばっかし。

お前ら、いくら勉強したって、
知識も技術も墓に持ち込むだけじゃん!
て、心の中でツッコんだ。

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お話はペリー来航から。

これ、上陸場所はまさに開港資料館の前あたりなんだって。

米国側のお抱え絵師が描いただけあって、
ミーのカノンはいつでも打ち込めマ~ス的威容がうかがえるよね!

江戸に直接乗り付けたかったペリーと、
浦賀あたりに遠ざけたかった幕府の折衷案が、この横浜の地。

首都に程よい距離感と大型船も停泊できる水深、
そして、沿岸部になーーーーーんも無かったってことが、
かえってその後の港湾開発&発展につながったようです。

港の建設に際し、追い出された漁民が住んだのが、
元の住民の村 →元村 →元町

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横浜公園て、遊郭の跡地だったのか!

オリエンタルゲイシャは、
青い目のジンガイにメチャウケだったんでしょうか?

文学や芝居的には叶わぬ悲恋が描かれ、
東映太秦的には異人に虐待された遊女の死に、
幕末忍者やら仕事人が闇夜を走っちゃうような展開??

実は意外に景気良くは無かったみたいなんだよね。
芸者はむしろ商売あがったり、なんて資料があるらしいよ。
前線の異人さんは色気や文化よりも、カネが第一だったんでしょうかね?

そして開港から7年目に起きた豚屋火事で、この関内は丸焼けになります。

港崎遊郭も焼失。
その後も伊勢佐木町へ→丸焼け→高島町へ→丸焼け→真金町へって感じで、
本当についてない変遷をたどっていくよね。

隆慶一郎先生ならば、その裏事情、
消えゆく定めの幕末豪剣士&傀儡使いvs異人商人&中国暗器&ガンマンの
文明開化の苦界を舞台にした壮絶なる闘いを描ききったはず!

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火災後の新たな街づくりに大きな貢献をしたのが
お雇い外国人の第一号、エゲレス人のリチャード・ブラントンさん。
日本各地で灯台を整備して「灯台の父」って呼ばれてるんだそうだよ。

彼が作った立派な日本大通りは、県庁やらが尊大ぶってたわけでなく
当時の外国人居住区と日本人商人街を隔てる防災道路の役割だったんだね!

その他、関内外をつなぐ日本初の無橋脚鉄橋、吉田橋を掛けたり
東京との間に電信敷設したり、横浜公園の設計なんかも手がけたんだって。

上下水道のパーマーさんとか、外人技術者が大活躍した時代。

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ペリー上陸地点は、象の鼻としてそのまま横浜港の原点になったそうな。

当時はまだ、港に接岸できず、はしけを使って、
沖の船からここへ、荷物をピストン輸送してたんだってさ。

鼻の部分の突堤は、そんな荷揚げ荷降ろしの際に、
波の影響を受けないよう増設したもの。

今となってはものすごく小さく思えるけど、
当時の風景を思い浮かべると感慨深いよな。

昔の横浜というと、リッチな洋館に住む白人や通事の辮髪、
馬車やら、煉瓦やら、ガス灯。ザンギリに洋装に、
牛鍋、アイスクリンて小奇麗なイメージじゃん。

でも、実際に住民として爆上げしていったのは、
そういった作業を行う港湾人夫らしいんだよね。

大戦後も含め、横浜って街は、
むしろドヤ街的な発展を遂げた側面が強いんじゃねーの?

野毛あたりもまさにそういう背景で発展して、
職安の移転で、寿町に軸足が移っていった歴史があるらしいわ。

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ペリー上陸の際に、すでに蒸気機関車のデモまでやったんだね。

その後、モレルさんによる鉄道敷設も行われて、
横浜はハブとしての役割を担っていくわけです。

世に”横浜生まれ”とされるものは多いけど、
すでに長崎という大先輩がおられる関係で、
むしろ”横浜を経由して全国に広がった”というのが適切らしいですよ。

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実は長年の疑問がありました。

アレレ?うちらの横浜って思ったほどハイカラじゃなくね???って。

第一には関東大震災や戦争&大空襲で、西欧の皆様が遠く去り、
当時の遺物もほぼ丸焼けになってしまったのが大きいようです。

ただ、モノが残らなかったこととは別に、
住民の生活や文化にあんまり残滓を感じないのは私だけでしょうか?

当時、洋文化を消費してたのは主に関内の外国人自身で、
ハマっ子たる関外の港湾労働者の方へ出て来ることは少なかった?

むしろ国内での消費地は横浜を越えて、
鉄道やらで運ばれた先の大東京になっちゃってたんじゃねーの?

そんな事情もあるのかなって、思った次第です。

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ここからは日本郵船のお話。

郵船所属で戦火を逃れた唯一の客船である「氷川丸」は、
現在でも横浜港のシンボルでもありますよね。

当時でもそれほど大きな船では無かったようですが、
サービスのレベルは高く、チャップリンやら多くのVIPに愛されたそうです。

チャップさんは氷川丸で海老天食うのが楽しみだったらしいぜ。

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よく、いその爺さんが記事にされてますがが、
横浜、というか日本の西洋料理の歴史を考える上で、
客船の調理場から育った系統もすげー大きいんだなぁ。

日本郵船でも航海中のリッチな外国人客に対応できるよう
本格的な洋食訓練を重ねたコックさん達を数多く排出してきたんだとか。

「喜久屋」「グリルエス」「かをり」「浜志まん」「十番館」とか、
日本郵船じゃないけど「グリル桃山」も船出身の調理人によって形作られたと聞きます。
その辺も掘り下げてみると面白そうだよね。。

あと、ドライカレーやカレーに福神漬けを合わせたのは、
郵船が元祖という身近な話題もあるようです。

郵船式のドライカレーなんかは、レトロで風格があって面白いし、
某ナポリタンのようにえげつなくならない程度に、
もっとアピールしてもいいのになぁ!

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そうそう、大事な話を忘れてた。

もも船、ももち船で日本の高度成長を支えた横浜港も、
最近はじわじわと弱ってきている様子。

コンテナの大型化や流通の近代化に追いつかなかったり、
客船がベイブリッジをくぐれないような話もあったよね。

釜山や上海等、アジアのハブ港が隆盛を極める中で、
今後、どういう風に存在感を示していけるかが課題なんだって。

どうも難しいって感触だったな。

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そんな感じで、お話はとても面白く、
もっと長く聞いていたいなぁと思ったくらいですが、
題材的にはごくごくありがちな公開講座になってしまったのは、やや残念。

せっかく「横浜ウォーカー」が参画しているのだから、
過去よりも現在に重点をおいて、
実際の観光や街歩きに絡めた企画にしても良いんじゃないかと思います。

受講キャパも少ないわけだし、有料にして、お土産つけたりもアリ。

今回も開港資料館や氷川丸のチケットつければ、
お話の内容が頭に残ったまま立ち寄れて、楽しみも倍増じゃん?

次回のテーマは「横浜の文学」だそうです。
またもウォーカー色は出づらい題材ですが、どうなりますか。

ほどなく募集の告知も行われるでしょう。
無料だし、講師も豪華だと思うので、ご興味ある方はお忘れなく!

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8 Comments

さんのコメント...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.06.10 | # [edit]
いその爺 さんのコメント...
豚屋火事、私もネーミングが気になっていました。(笑
横浜公園遊廓って、意外や日本人の客の方が多かったみたいですよ。

異人さん文化って時代と共に山手遊歩道→杉田界隈→戸塚経由鎌倉→箱根宮下 って感じがします。
欧米人が去った現存、横浜に残る最後の砦は中華街かもしれませんね。
2013.06.11 | #- [edit]
さんのコメント...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.06.12 | # [edit]
管理人 さんのコメント...
>秘密さん①
なんか、NHKの朝ドラになりそうですね。
歳とると、思い出話も同じポイントの繰り返しになってきますが
いきなり226事件の話とかをされるとビビります。

>いその爺さん
豚肉屋からの出火ってことですが、売るためには養豚もしてたわけで、当時の日本としては珍しい環境だったんでしょうね。その辺も中華文化の影響なんでしょうか?

>秘密さん②
サンキュー!直しておきました。
2013.06.12 | #- [edit]
MONICA さんのコメント...
わ〜すごく興味あります!新潟の下町に住んでた頃、近所のじーちゃんが遊郭の話しをしてくれました。質屋で借りて遊郭行って材木運びのバイトしては、返したもんだ。質屋が何軒もあるとこは、遊郭があったはずって言ってたから姉が真金町に住んだ時『 たぶんこの辺りには遊郭があったはず 』と言ったら『 なんでわかるの? 』ビックリしてたので『 わちきは、遊女の生まれかわりぃ〜 』と言いました。『 バカじゃね! 』とT^T伊勢佐木町は伊勢さんと佐々木さんが奮闘したとかききました。新潟、横浜、神戸、は港町、船乗りと遊女の哀しいお話がたくさんあるみたいですね!
2013.06.13 | #xCzGH.BU [edit]
管理人 さんのコメント...
>MONICAさん
色街は変遷しても、独特の残り香があるような気がします。
舞台が身近にあると、単なるストーリーではなく、
しみじみ肌で感じられますよね。
2013.06.13 | #- [edit]
bobbey さんのコメント...
我が家ではカレーは基本的にはフォークで食べるものだと父から教わりました。
何故ならスープなどの汁物はスプーンでたべるのであって、カレーライスは汁物にあらずというのが理由らしいです。
そんなことは船で教わったらしく、父は郵船OBです。
2013.06.18 | #rhGELEd6 [edit]
管理人 さんのコメント...
>bobbeyさん
おおう、ハイソサエティ。
パスタを箸で食う我が家とは大違いです!
やっぱ、ドライカレーも船で食べやすくってコンセプトなんでしょうかね?
2013.06.18 | #- [edit]

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