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いまさら「黄金町バザール2014」の感想

散る桜の中で、ふと・・・

って、もういいか!

桜の時期すら、だいぶズレてしまってるしな!
なんのギャグだか自分でもよく分からんし!

ということで、皆が忘れた頃にやってくるイベント感想シリーズ。
恒例の黄金町バザールにも触れておかなくちゃね。

ご近所のよしみでね。

140905 003

やっぱり、ガッラガラ。

初秋の風が吹き抜け過ぎだよな・・・

当ブログでは毎回の記録を残すようにしているのですが、
冒頭は必ずゴーストタウンの写真から始まるこのワンパターン。

もはや空いてるというレベルを遥か越え、
生命の気配すれ感じられないイベント絶賛開催中の黄金町です。

毎度の風景なので今更驚くことはありませんよ。

でも、こんな状態で7回も続いているビックリはありますね。

140929 001

もっとも今回は「ヨコハマトリエンナーレ」が同時開催されたため、
ぶら下がり効果で、平年を倍する動員があったのは確かです。

141020 086

平日は所在なげに机を見つめるボランティアか、
業界視察団をいそいそ接待するスタッフの面々、
タンクトップの汚爺さん、野良猫くらいしか目撃できない会場ですが、

週末にはリアルな来場者の姿も目にし、また袖ふれあうこともあり、
アートイベントは本当に、マジで、ガチで、開催されていたんだなと、
私の脳内で紡がれた幻ではなかったんだと確認できました。

141109 006

具体的には三ヶ月間で来場者数43,447人という発表でしたが、
うーーーーん、どうなんでしょうね。

ビチャビチャになるほど眉毛へ唾を塗りたくってしまいましたよ。

もし日に500人も来ているのなら、
「こんなにお客さんが歩いているの初めて見た!」
なんつって写真とったりしねーから!!それでこれだぜ!

黄金町バザールは一応、有料イベントの体裁ですが、
改札はきっちりしないし、展示が街にバラけている関係で
正確なカウントができない口実で、数字を盛りまくってる疑惑あり。

だって、人っ子一人歩いてないレベルの会場を毎日見てるからな。
いや、私だけじゃなくて、近所の人達に聞いてみるといい。

やはりスタッフしか立ってない会場へ120万人も動員したと言いはった
悪夢のY150とそっくりな構図が透ける横浜市マジカルです。

ここら辺は資料だけではわからない現場の実情であります。

141020 117

さて、今回のテーマは”仮想のコミニティ・アジア”

ちょうど「東アジア文化都市」という中韓との謎交流事業が、
横浜で開催されていたので、そこにひっかかってるのでしょう。

実際の黄金町周辺は”現実のコミニティ・アジア”に、
ガッツリと侵食されている混沌の土地なので、
住民にとっては今さら爪アカほどの新鮮味も感じないお題です。

果たして、このテーマに深い意味があったのか?

実体はいつもとさして変わらず、
アジアの若手作家さんを気持ち多めに招きましたって話なのかと。

そもそも「奴らとは話が通じねぇ!」つってアジア娼婦を追い出した場所で、
都合の良い国際交流を再構築されてもね、皮肉っすよね。

141020 073

前回の「黄金町バザール2013」は酷かったのです。

誰も観に来ないのは相変わらずとして、
展示作品も質量とも情けない程カスカスになって、
この茶番もいよいよ終局なのかと感じていたところ。

でも、意外!今年はやや持ち直したような気がしました。

出品39組といっても、小規模のワークショップ等が混じって、
必ずしもボリューム満点とはいえませんが、作品の密度は増した印象です。

141020 112

運営事情は知る術もありませんが、
関連イベントのおこぼれで予算が増えたのか。

もしかしたら、外部からキュレーターを招いたことで、
運営のグダグダの中に多少の新風が入ったのかもしれませんね。

141020 029

今回は封鎖中の高架下も会場になっていましたよ。

壁面に飾られているのは、
コンテナなどに自然に出来たサビの模様アートだそうです。

140905 011

アートで飾るのも結構なのですが、
街の雰囲気を陰鬱にしている大きな原因が、
日ノ出町から南太田まで延々と続くこの鋼板なんですよね。

京急もいろいろ痛い目を見てますので、
ガッチリ守っておきたい気持ちもわかりますが、
これはそろそろ何とかなりませんでしょうか?

個人的には無理筋なチョンの間リノベーションよりも
むしろ高架下の有効活用こそが本丸なんじゃないかと考えます。

141020 026

中はこんな感じでけっこう広いのよ

台湾の近代化で消え行く旧軍人街の写真展。

141020 019

まぁ、土地柄をよく反映しているというか、

ヒネリがないというか、

とかくオサレに聞こえるアートイベントですが、
地域からインスピレーションを受けちゃうと、
蓋をしたいとこまで掘り返えされちゃうってことで。

都合よくイメージアップに使えると思うなよ!ってメッセージかと。

141020 075

以前、スタジオ内にホームレスを住まわせてその生活を展示するという
まさに当地で行われている地域アート事業を皮肉った企画を試み、
事務局にすんごく怒られてしまった太湯雅晴。

今回の展示はすっからかん。

どうしたのかなと思って張り紙を読んでみると

お前ら、そんなに過去に蓋をして、健全を求めたいのなら、
俺がいっそファミレスやカフェを誘致してきますよ!

・・・来なかったけどな!

っつー、身も蓋もない文章をぶつけていました。

中には何も無いんですが、ドアや扉が全て開け放たれ、
建物に堆積したかつての記憶がさらけ出されたような形です。

141020 036

まぁ、黄金町の売春宿を舞台にした現代芸術で、
過去には触れてくれるなという方が無茶なのですが、

実際、やり過ぎた作品や人物に対しては
”地元の感情”に配慮して検閲がかかると聞きます。

その時代のリアルの中で育ってきた人間が
今さらそんなことに目くじら立てるとも思えませんが、
街づくり関連には潔癖こじらせたのが混じっているのかもしれません。

一方で、この青木真莉子のようなそれっぽい作品も、
毎年、必ずラインナップされています。

たいてい、おっかない細道の奥に追いやられているんだけどな!

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刺に経血、ヤリ捨てされた人形まで落ちています。

黄金町バザールの展示に、
どのような作品コードが設定されているか、
具体的には知りません。

ただ、あるとしても、
創作活動や表現の手足をもがれるほど、
厳しいものではないような気がします。

むしろ、事務局とフィーリングが合わないとか、
もうちょっと人間臭い、低俗なトラブルなんじゃないかと想像します。

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同じ作者がモフモフをかぶって、
なんかいろいろやってる動画を見ながら、
こういう撮影に付き合ってくれる友達って得難いなと感じました。

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原田賢幸の作品は中に入ると自動的に動き出します。

不気味なうめき声をBGMに、突然流れ始める水道・・・

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ゆっくり開閉するカーテン、冷蔵庫の扉。

砂嵐のTVにギロチンが落ちたり、
炊飯器で暖められた石に酒がぽたり落ちて臭いを発したり。

これを安全な美術館で観てるわけでなく、
裏町で沈黙する売春宿の中、たった一人きり、
後から誰が入ってくるかも分からねぇ環境だよ!

確かに印象には残るんだけど、
そりゃ決して心地の良いもんじゃねーわな!

リピーター、呼ばないよな!

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「黄金町バザール」がちっとも集客できない理由として、
イベントの認知不足を挙げるのは、さすがに苦しくなってきました。

そもそも、現代アート自体の集客力ってどうなのでしょう?

問われれば、大概の人はおすまし顔でイイね!を返してくれるでしょうが、
実際にお金を払ってまで観に来るファンの数は決して多くはなく、
街を活性させるほどの力は無いような気がしています。

芸術の話題は、なんか教養や感性を見透かされるようで、
ついつい見栄をはって理解を示してしまいがちじゃない。

でも「オレら、実は言うほど好いてないのよ」ってのが本音なのかも。

現代アート=意味不明という固定観念も、未だ根強いでしょう。

141020 045

展示に関しては健全化されて、ヌルいと評する人もいますが、
土地柄を反映した作品には、やはり相応のエグミが含まれており、
芸術村民やサブカルカップルくらいしか喜ばない内容かもしれません。

少なくともファミリーレジャー向きではありませんし、
黄金町というメインモチーフが変わらないからでしょうかね、
総入れ替えをするわりに、例年、似たような作品が続くマンネリ感も拭えません。

会場設定の物珍しさが通用するのも限度がありそうです。

141020 047

そして、もう一つ大事なこと。

来場者やボランティアの声を聞いて印象的だったのが、
”内輪””疎外感”というような言葉なのです。

仮にも”バザール”を謳うイベントで、
お客さんからそんな感想が出てきちゃマズイよね。

でも、この”内輪”こそが、
人を呼ばない美術イベントの核心を突いているという気がします。

141020 087

よくよく考えてみれば、これは必然なのかも。

「黄金町バザール」は
単に作品を展示するだけの美術展ではありません。

作家が実際に黄金町に滞在して、
当地の住民や産業と交わる中から、
歴史や地域資源を活かした作品を制作、発信することで、
地域のコミニティづくりや活性化に貢献していくミッション。

自治体主導の地域政策に絡め取られた結果、
作家は実に様々な思惑を背負わされているんですね。

特に黄金町の事業は、売春街の放置によって、
長らく苦しめられたと訴えている一部住民たちへの慰撫や
地域サービスとしての性格が色濃いように思えます。

141020 090

つまり、このイベントにおいて、
視線の中心に据えられているのは
地域であって、来場者ではないのです。

実際、現代アートの世界には作品を介した対峙に留まらず、
作家と環境、鑑賞者の直接的な結びつきを追う流れもあるんだそうです。

ただ、その場合は濃厚な交流が行われる反面、
関与した人間以外を弾く”内輪”の形成も避けられないとのこと。

本来は、交流を通して抽出された地域の魅力が、
外部の来場者に対しても広く価値を放つよう磨かれ、
作品化されるところまで進んで成功となるはずです。

しかし、地域アート事業では、
必ずしもそうした作品の完成度を評価されるわけでなく、
スポンサーである自治体の関心はむしろ過程の段階で止まっています。

とりあえず、こういう事業に取り組みましたって実績が大事なのです。

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来場者は作品鑑賞や稀有な体験を楽しみにやってくるわけで、
地域問題の解決や活性化、住民エゴを満たすために、
都合よく集まってくるのではありません。

黄金町地域のために始めたイベントであることは間違い無いのですが、
黄金町のことばかり見ていると、お客さんは置いてけぼりになって、
成功はおぼつかないよってことなんです。

「黄金町バザール」がいつまでたっても
”街づくりの挑戦”ネタを引きずって、
純粋なアートイベントとして評価されない問題の本質は
そういうところにあるのかもしれません。

141020 104

もちろん作家が皆、そうした意図に忠実なわけではなく、
言葉の壁もあったりで、ただただ普段通りの製作をする人もいるでしょう。

でも、地域第一の運営方針が、
少なからず影響を与えているのは確かです。

プログラムも小規模だし、対象もやたら狭いんですよね。
会場でくつろぐのも友人達や地域の顔なじみだったりして。

広くアジアに開かれた国際美術展というよりは、
地区祭りの延長線上にあるようなこの雰囲気。

時に地場のスナックに迷いこむようなきまりの悪さがあり、
来場者はそういう空気を敏感に感じてるのかもなぁと思います。

141020 060

今や自治体は、現代アートの作家にとって
無視できない大スポンサー様になっているそうです。

見栄え良く、様々なロケーションやシチュエーションに対応しうる
便利な現代芸術を用いた地域活性化事業というのも
黄金町だけの話でなく、全国的にも流行しつつあるみたいです。

ただ、作家が自治体の地域事業に取り込まれていく中で、
本来の命題たる芸術性の追求が鈍化していくのではないかという声もあります。

セオリー通り、地域の資源を掘り起こすにしても、
そもそもの埋蔵量が乏しい場合は、出てくる成果も弱いよな。

しかも、自ら関心を持って採掘場所を選べない時点で、
だいぶハンデを負っているような気がします。

もっとも、私は芸術家でも愛好家でもないので、
その辺の話題は突き詰めていけません。

141020 065

むしろ自治体側の思惑は果たされるのだろうかという部分が気になります

経済効果は?活性化は?コミニティの形成は?

考えてみると、それらを担い手は
なにもアーティストである必要がないのです。

さらに本業である作品製作の片手間にこなすには、
どれも重すぎるタスクであるといえます。

自治体は作品そのものを評価してお金を出せないから、
諸々のソーシャルサービスと抱き合わせた
地域アート事業のパッケージを考えだしたのでしょう。

それはそれで上手いなと思いますし、
とりあえずの飯の種として助かっている作家も多いことでしょう。

ただ、色々と欲張って要素を詰め込んだ結果、
どれも中途半端に留まり、満足な成果は得られていないのではないかな。

141020 070

無論、役人作文の魔法によって、
各分野それぞれから乏しい成果をかき集め
枯れ木も山の賑わいとして世に報告されているのでしょう。

かくいう閑散黄金町が地域アート事業の代表例として、
業界内に華々しく喧伝されているのが何よりの証拠です。

しかし、数少ない客観的指標である来場者数が、
貧しい実りの現実を如実に語っている気がします。

活性化というのが恥ずかしいほどのガラガラですもん。

140905 010

序盤で、今年は持ち直したって書きましたね。
会場で確かに観た時はそのように感じたんですよ。

でも、それはあくまで黄金町バザール比の復調評価かもしれないな。

先にトリエンナーレ記事の写真をまとめた後に、
再度、こちらの素材を見なおしてみたら、
だいぶ安い作品も混じってるんだよね。

まぁ、見る人が見れば輝いているのかもしれないけど、
都心エリアのアートイベントとして、これらがどの程度の強度を示せるものなのか。

いつまでも行政から大金が入るわけで無し、
すでに話題性や物珍しさが褪せつつある中で、
黄金町バザールは今後自立していくことができるのか?

これまでの7回で、人や物に関わらず、
どの程度の成果や資産が蓄積されているのか。

さんざん地域と関わり、言われるまま街をアートに染めたはずなのに、
この流れを受け継いでゆく住民芸術集団も育ってなさそうだしな。

やっぱり、場つなぎの策でしかないのかなぁ?
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いまさら「ヨコハマトリエンナーレ2014」の感想その2

さて、ここからは新港ピア会場に移り、
時期を外した横浜トリエンナーレの感想が続きます。

そういえばこんな作品もあったなぁと思い出しつつ、
軽く読み流していただければ幸いです。

140922 020

黄金町なども含め巡回バスが出ていますので、
会場間のアクセスはスムーズでありました。

開催地は横浜観光の中心地区でもありますので、
各会場を回りながら、散策や買い物も楽しめたんじゃないかな。

ただ、それぞれの会場の展示ボリュームはたっぷりで、
これを一日で回ろうとすると相当な駆け足になってしまうでしょう。

私も何回かに分けて鑑賞しましたが、
この際、会期中フリーパスにしちゃって、
繰り返し街に足を運んでもらうようにしてもいいんじゃなかろうか?

140922 003

新港会場でなんといってもインパクト大なのは
やなぎみわのデコトラ舞台だよ!

ここへ来て「ただいま絶好調!」か!
舘ひろしが「今夜はオールライト」を歌いかねないステージカーです。

いやぁスゲーもんを考えたなと思ったのですが、
どうやら、台湾の方で実績のある舞台装置のようですね。

動いて、上演してるとこを観たかったなぁ。

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森村さんの音声ガイドは、
新港会場の作品まで面倒見てくれなかったようです。

これは本当に残念なことです。

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こちらの会場はスペースも広く、
比較的大掛かりな作品を設置できるのが利点。

美術館の格調高い空間からはみ出すような
ダイナミックで自由な展示やパフォーマンスが可能です。

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しかし浜美会場で感じたような
テーマ性というか統一感みたいなものは薄く、
心もち散漫な印象を受けましたね。

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第10話「洪水のあと」は
福岡アジアトリエンナーレからの乗り入れとなっており、
ざっくりアジアくくりなだけで、各々の作品はやや小粒。

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第11話「忘却の海に漂う」はその他雑多作品てことなのかな?

やっぱり撮影禁止が多くて、
めぼしいものをお見せできませんが
撮影出来たとしても、特に印象には残ってなかったかも。

正直、こちらの会場はいまいち食い足りませんでした。

どうせなら、ストーリーの最後をかっちり閉めていただきたかったです。

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これは会場外、みなとみらい線に改札前にゲリラ設置された作品。
パンフではかわいく見えたけど、実際は非常にしょぼかったな。

トリエンナーレは3年に1度の大きなお祭りなんだから、
美術館や有料会場の中だけに囲ってしまってはもったいないと思うんだよ。

初回、インターコンチに巨大バッタがとまったりして、
市民も驚き、また注目も集まったじゃない。

もっと作品を多くの人の目に触れる場に公開して
見慣れたの日常風景を一変させるようなインパクトを示して欲しいな。

公共サービスとして、街ゆくあらゆる人を楽しませる要素があっても良いと思います。

141109 011

ここからは「BankART Studio NYK」で行われた
連携イベント「東アジアの夢」より。

昨年は「東アジア文化都市2014横浜」という
中韓との訳わからん交流イベントも同時開催されており、
トリエンナーレもその流れの中に取り込まれていたんですね。

他に鳥取から運んだ砂で訳わからん像を作ったりして、
とにかくやるぞって意気込みだけで中身がなんも無い惨憺。

そっちはさらにお客が来なかったんだけど、
途中、砂像が台風で吹き飛ばされて、打ち切りとなり、
企画の失敗もウヤムヤで助かったというオチでした。

こちらの会場も入ったらいきなり朝鮮通信使とか
うさんくさいもんを推してきて、ゲンナリしたのですが、

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上階に登ったら、ちゃんとしてたので良かったです。

他の2箇所に比べ会場のスペースはコンパクトですが、
毎回、なかなか見応えのある展示が見られて楽しいよね。

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ここは元々日本郵船の倉庫を改装したものなんだけど、
重厚で、いかにも港らしい雰囲気で、すごくカッコ良いのよ。

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単なるバックヤードですら、
なんかそれっぽく見えるマジック。

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作品もちょっと都会的でなんかNYって感じしない?

同じ現代アートの展覧会というくくりでも、
切り口によって印象はガラリと変わるんだなと感じます。

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白状するとここへ来るのはトリエンナーレの時くらいで、
普段はどういう状態なのかよく分からんのです。

スタジオとしてなんかに使ってるんだと思うのですが、
アート界隈って、表現で食ってる割に内向きで、
一般からはアクセスしづらいところあるんだよな。

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もし、このくらいの規模の展示を常設出来るのなら、
立地も環境も最高ですし、ここはここで観光の目的に出来る場所じゃないかと感じます。

界隈のたまり場として専有するのはもったいないので、
ぜひ開放的に頑張ってほしいと思う次第です。

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アジア民が飲んでいるスープのダシ殻を集めた作品だって。

食文化や立地によって内容も様々。

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とんこつかな?

141109 025

さて、この糞長いレポもやっと終わりが見えてきましたが、

最後にお金の話をもう少し。

前回の成功に気を良くした横浜市は、
今回、大幅に予算を積み増して、トリエンナーレに臨みました。

しかし、前述のとおり、入場者数は激減。
事業支出を割る人数が減った分、一人頭の補助額も増えた計算です。

ぶっちゃけて言うと、
トリエンナーレを観にやって来た21万人それぞれに、
もれなく2700円ちょいの市税が配られた計算になります。

この投資効率はどうなのよって問題です。

141109 029

アジアの風、ビュンビュン吹きそうですな!


考えてみると、自治体による芸術振興には疑問が多いのです。

確かに現代アートはカッコよく響きますし、
展覧会は街の対外的なイメージアップにもつながるのでしょう。
それなりの宣伝効果が期待できるというのは間違いありません。

ただ、オーケストラにしても、バレエにしても、書画にしても、
芸術やエンターテイメント中のジャンルの一つに過ぎませんよね。

西欧化がすなわち文明化だったかつて時代と違い、
今や多彩な表現や作品が生まれています。

お仕着せの価値観の元で芸術の高低を決め、
特定の形式だけを税金で支え、振興していく意義は薄れています。

そもそも、大きくくくった芸術鑑賞ですら、
人の趣味のほんの一分野に過ぎませんし、
芸術を嗜むことが人生に不可欠なわけでもないわけじゃん?

そんな中で現代アート好きにだけ補助金が出る一方、
艦これ提督には何も出ない、この理不尽よ!

人を豊かに楽しませるという観点では、
どちらの価値も並列じゃんって思わない?

私にもDMMマネー送ってくれよ!母港キツイんだから!

141109 039

なんであれ、価値に対しては相応の対価が生まれるが常ですから、
市場で成り立つか否かは一つの指標となり得るものです。

その点、市が億の赤字を埋めて、
やっと開催できる展覧会はどうなんでしょう。

本当に高い芸術価値を有しているといえるのでしょうか?

また、教育の観点から、
幼い頃から芸術に触れる重要性も述べられてるけど、
出展してる芸術家の様々な経歴を読んでみると怪しいよな。

つか、そんあ気張って芸術家を増やしていく必要があるのでしょうか?
現状でも、余ってるし、食えないしで大変じゃない。

それに、なんでもかんでも市内に持ってくればいいってもんでもなく
質の高い芸術を狂おしく求めるなら、東京なりパリなりに行けばいいじゃんて話にもなりますよ。

古来、芸術にはパトロンが欠かせないものだという人もいますが、
最終的にどんなヘボ品でも「俺が好きなんだからいいんだよ!」っ言えるところが、
富豪と役人が決定的に違うところだと思うのです。

何が良いのか、その価値判断基準すら示せない対象に投資するなんて、
少なくとも公共の役目ではないんじゃないかな。

個人的にはトリエンナーレをすごく楽しみにしていますし、
だいぶ受益している層に属しているのですが、
色々考えるとやっぱ妥当性は認められないんですよね。

逞しく独り立ちしてほしいなぁという気がします。

2015はそんなまとめになりました。

いまさら「ヨコハマトリエンナーレ2014」の感想その1

散る桜の中で、ふと、遠き青春時代を思い出します。

あの時、もう少しの勇気があったなら、
今頃、自分はどんな人生を送っていたのか・・・

チャンスの女神は蓮舫バリに後ろ髪を刈り上げているみたいですが、
何事も大事なのはタイミングなんだなぁと黄昏れる今日このごろ。

とっくに終わった美術展の感想を、
半年も経ってからUPするという機の逸し方は、
さすがの私、何一つ成長していないところであります。

そうはいっても、この書捨てブログの中で、
次回読み返すであろう数少ない記事なので、
やっぱし記録はしておかねばという奮起です。

140905 024


さて、会期が終わってからのタイミングで唯一良かったのは、
入場者数についてのガッカリ話を拾える点でしょうか。

事業費もどーんと弾んで、鼻息荒く挑んだ割に
前回の33万人に大きく及ばぬ21万人に終わったらしく、
外部監査からも問題が指摘されたとのこと。

まぁ、難しいところだよな。
催しの価値が2/3に減じていたわけでもないと思うんだよ。
むしろ美術展としては今回の方が食いごたえがあったような気もするの。

前回は折り悪く大震災直後のタイミングで、
計画も定まらないまま、人も作品も手近なところでやっつけたのが、
コンパクトで分かりやすい開催につながった怪我の功名。

諸々のイベントが自粛される鬱屈の中で、
被災地の手前、脳天気に遊ぶのは憚られるけど、
美術鑑賞ならばまぁ・・・という慎み心理が大きく影響しつつ、
実体以上に数字を伸ばしたんじゃなかろうかと考えます。

そもそも総入場者数といっても、
奴ら、会場ごとに重複カウントして偽装したりするので、
チケット実売数の方で見てみると全5回の推移は
17万→12万→9万→前回17万→今回10万となります。

やはり減っているのは確かなのですが、
前々回と比べると、まぁ分かる数字。

むしろ前回をイレギュラーとして、
別枠評価すべきなんじゃないのかな?

140905 017


では、内容について振り返ってみましょう。

今回はディレクターに森村泰昌を迎えたことで話題になりました。

いわゆる、なりきり名画の人で、
私は週刊誌等を通じてちらっと見たことがある程度。

どちらかというとキワモノ的なイメージがあったので、
どんな内容になっちゃうのかとハラハラ半分楽しみ半分だったのですが、

いや、意外とマジメなのな。

というか、深く問いかけてくるような哲学的内容だったと思います。

140905 069

テーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」

といわれてもさぁ

そもそも「華氏451」を読んだことがないというね!
それが何℃なのかも分からなくて、すかさずググったくらいだよ!

美術の世界ってば、こんな風にさ
教養や文脈をおさえていて当然じゃん的な気取りがね、あるよね?

お前ら、表現者として、もっと平易にできないのか!と言いたいわ。

こうして無駄にカッコつける代償として、
観賞の敷居も高くしているような気がするんだよね。
もっとも、その敷居に守られている部分もあるんだろうだけどさ。

そして、どうなのよ?
みんなは観に行きたいか?忘却の海をさ!
忘却の海が楽しみすぎて前の日、ワクテカするか?

やっぱり取っ付きづらい部分は否めないのかも・・・・

ただ、一方で、そんなのは実際に観るまでは分からんことだし、
記事等をさらっても、プレスリリースをなぞったものばっかで、
業界内はともかく、一般来場者にまで、クチコミが広がった痕跡は見られません。

もし責任を問うなら、リピート客を呼ばなかった前回なのかもよ。

140905 023

エントランスで迎えるシンボルは、
アートビンという巨大なゴミ箱。

失敗作をどんどん捨ててってくれってことです。

私は思わず、身投げしたくなりましたよ!

140905 073

これもいっぱいに溜まれば面白かったのですが、
末期でも、底の方にちょろりとたまっているだけで、
巻き込みという面では、いまいち不発だったような気がします。

一部、芸能人などを使ったPRの場にもなったりして、
そういうミーハーなのは、あんまいらなかったのかと思うのですが、
今回に対する主催側の超期待感というか、浮かれ気分も垣間見えました。

140905 025

作品は序章に続く11章のテーマに沿ってまとめられており、
初手からして「沈黙とささやきに耳をかたむける」ときたもんよ!

んでもって、真っ白なキャンバスなんかを展示して、
作者のささやき声が聞こえてきませんか?ってやるんだよ!

こねーし!

140905 026

しかし、ここで心強い助っ人が現れます。

ディレクターの森村さんが解説を吹き込んだ音声ガイド。
ある意味、これが一番気に入った作品かも。

よくある説明文を格調高く読み上げるものと違い、
実際に森村さんと一緒にミュージアムツアーをしているような、
身近で、暖かい語り口で、すごく良かったのよ。

これを聞いているか否かで、
会の評価もずいぶん異なってくるんじゃなかろうか?

140905 031

そんな助けなしで対峙したら、
私もなんか電波を受信してしまいそうな作品。

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よく「現代芸術は難解だ」「訳が分からない」という感想を聞きます。

好奇心の徒である我々は芸術作品を見ると、
つい「この作品は何を表現したものか?」「作者の意図は何なのか?」
を読み解こうとしますし、また正解にたどり着かねばならないとも思います。

それ故、婉曲な現代芸術については、
正解が見えないフラストレーションを強く感じてしまうのでしょう。

140905 028

しかし、正解は本当に作者の心の中にあるのでしょうか?

作者を知ること、コミニケーションが美術観賞の目的なら、
直接話をしたほうが手っ取り早くありませんか?

他人の心象がそんなに価値あるものなのでしょうか?

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もちろん、作品は何らかの想いや情動を乗せて作られるものですが、
それだけで構成されるのではなく、作り手が自覚しない要素が乗っかってきたり、
また、鑑賞者の目を通すことによって、別の価値が付加されたり。

結果として出来上がった芸術品は
作者の手からも大きくはみ出ているのかなと感じます。

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何が言いたいのかというと、
作品鑑賞に正解なんか無いんじゃないの?
結局のところ、自分がどう感じるかじゃないの?ってこと。

作者も意図や他者の評価がどうあれ、
自分にとって価値や魅力があるならならそれは宝だし、逆はゴミだってことで、
観賞に際しては、特に気負わず、がんばる必要もないんだと思ってます。

んなわけで、私も気楽に観て、感想を書くことも出来る次第。

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でも、こと感性に関していうならば、
芸術家や専門家の皆様は、自分よりはるかに豊かなものを持っているな。

私がパッと見て、鼻毛も揺れない事柄に、
こんなにも感じ、心動いているのかという驚きと感心。

観賞の深度だけでなく、根本的に視点の角度が違ったりもして、
言われてみれば、なるほどなと自分の世界が広がる経験もけっこうありますよ。

作品に対して、常に個でもって対峙するだけでなく
時には道連れを作るのもいいもんだなと、改めて感じた次第です。

スゲー長くなりましたが、音声ガイド良かったねって話でした。

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釜ヶ崎芸術大学は大阪西成で開かれている学びの場。

だれでも参加できる芸術文化学問の講座やワークショップを
年間40~60回も開催しているんだそうです。すごいな!

ドヤならば横浜にもご存知の寿町がありますが、
酒や賭博ならまだしも、芸術や大学なんていうイメージが全く結びつかないじゃん。

でもさ、経済成長を支えた後に使い捨てられ、
社会の片隅で忘れられていくだけの爺さんたちが、
ついに表現の声を上げ始めたんだっていう
そんな切り口でまとめられちゃうと嫌が王にも耳目を引くよな。

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実際、個々の素人作品はそれなりですし、
特に社会派な訴えも見て取れません。

でも、ドヤに芸術大学を開こう、
またはそこで学ぼうという気持ちや意思は
人としての文化や力強さを感じさせるもので印象に残りました。

第2話「漂流する教室に出会う」より。

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本当は展示通り11話の流れに沿って、
各話の印象的な作品を振り返るつもりだったのですが

今頃になって、写真を漁ってみると
7、8、9話がどこにも見つからないというね!!

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トリエンナーレは撮影できる作品が多いので、
こうしてブログで感想記事を書くこともできて楽しいです。

ただ、今回は比較的撮影禁止が多かったような印象で、
フォルダを見るとアレがないな、コレがないなという歯抜け。

とりあえず、なんとなくそれっぽく見える写真を掲載しています。

第五話「非人称の漂流」は、
法廷の裏にテニスコートというcourtつなげ。

だから何なのかは、よく分からんけど!

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読んだこと無い「華氏451」を大量発見!

でも、逆向きに印刷されています。
なぜ、逆向きなのかというと・・・忘れちゃった。

これが忘却の海か・・・

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「華氏451」をテーマにした第3話は、
覆い隠されたもの、裏工作、検閲などに抗う作品たち。

様々な国、地域の人々の血統を追った、
タリン・サイモンのポートレート集は
その背景として、深刻な社会問題がルポされており、
非常に生々しく観ることが出来ました。

作品はこれじゃないんだけどさ。

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バーミヤンをぶっ壊したタリバンの蛮行。

でも、アフガンにいる大勢の飢えた人々を目もくれず、
仏像の心配ばっかしてる西洋人に呆れて、
一撃くれてやったんだぜって言葉にもまた別の真実があるよな。

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第4話のテーマは「たった一人で世界と格闘する重労働」

自分の部屋に飾っておきたいナンバーワンは
福岡道雄の「何もすることがない」

この細かいものは全て「何もすることがない」という文字。
しかもご丁寧に掘り込んであるという!すごすぎ!

しかもしかも、このシリーズが他に幾つもあるという
どんだけ、ヒマを持て余してるんだというな!

とにかく、ものすごいパワーが込められた作品でした。

家族にいたら確実に病院送りにするよ!

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描き込みの密度という点では
古代の海を描く坂上チユキ の作品群もすごいわ。

やっぱり家族にいたらいろいろ心配しちゃうよ!

こちらは第6話「恐るべき子供たちの独り芝居」より

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これもちんまり高密度に作ってあって、
ずっと眺めていても飽きないわ。

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身を切られるような・・・

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今回、確かに見た目地味で、難しそうな作品が多かったんだけど、
一方で深く潜って観賞できるような、噛みごたえがある印象がありました。

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大テーマについても各章についても、
とりあえず出品作を分類しましたってパターンでなく、
明確な意図を持って構成、セレクトしており、
しっかりと仕事をしているじゃんて思ったもん。

いやいや、決して悪くなかったよ!というのが、
「ヨコハマトリエンナーレ2015」に対する私の感想になります

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そうそう、駐車場の脇にこんな部屋が隠れていたんだよ!
皆さん気が付きましたでしょうか?

動員減の責任をとって、
誰かが埋められてしまうのだろうか・・・

他に誰もいないし、不気味かつドキドキな体験でした。

忘却に絡んだ意図的な仕掛けかどうかは分からんけど
必ずしも順路に沿って、全てが見られる設計ではなかったような。

カフェの奥に設置された7話も見逃したらしいし・・・

その2に続く!

バインミーロスト

井土ヶ谷に「宿るや商店」というお店があります。

古商店をリノベーションしたスペースで、
常時営業する自転車屋さんを軸に、
日替わり店主によるカフェやバル、
整体やワークショップ等が合体したスポット。

入るお店も井土ヶ谷らしからぬ面白ラインだし、
スタートアップ支援というか、お試し営業の場になっている関係で、
比較的短期間に入れ替わるので飽きるヒマもありません。

こちらに出店していた「Thao's 」は
最高に旨いバインミーを出してくれる超オススメ店でしたが
この度、晴れて自前店舗の開店ということで、
オサレが隆盛しつつある元住吉に栄転され、
良かった半分、寂しい半分でありました。

しかし、がっかりするなかれ!
宿るや商店に新たに入ったのは、
パンマニアによるサンドイッチ専門店「Sandwich world

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バインミー、どーん!!

やったーーーー!

こちらでは毎週様々なサンドイッチがいただけるようで、
バインミーも固定メニューではないみたいですが、

いやいや、新店もなかなか期待できるのではないでしょうか!

新「Thao's 」の方も是非に遠征したいと思っています!

「横浜学 ~横浜と原三渓~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座「横浜学」です。

第11回目のテーマは「原三渓」

ご存知の通り、本牧の三渓園を作った方ですが、
どんな金持ちなのかはよく知らない市民もいるんじゃなかろうか?

ええ、私のことですよ。

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一人目の講師は岐阜市歴史博物館の学芸員の方。
あちらで原三渓の企画展を担当されたつながりでの招聘です。

原三渓は岐阜出身だったんですね!

年表を見ながらの略歴解説。
庄屋である青木家の長男として生まれ、
幼い頃から漢学や書画に親しんで育ったらしいです。

17歳で東京専門学校(早稲田)に入学。
23歳で横浜の豪商原善三郎の孫娘と結婚して婿に。

家業の生糸事業を発展、成功させる他
富岡などの製糸工場も経営、銀行の頭取なども歴任。

一方で、数千点に及ぶ書画骨董の収集を行い、
下村観山ら芸術家への支援や交流も重ねていたようです。

また、自らも書画、漢詩をたしなみ、
茶道では近代の三茶人にも数えられ、
秀吉以降最大の茶会を開催したことでも知られる
趣味人であったようですよ。

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二人目は原三渓市民研究会の会長。
Y150のボランティアがきっかけで生まれた集まりらしく、
まずはサークルの成り立ちや活動風景についてのお話。

寡黙であった原三渓を研究する際、
その人柄を伺う手がかりはあまり残っておらず、
本人作の漢詩を読み解くことで、内面に迫っていこうという試みみたい。

詩に現れているのは
経済人としてのリーダー像とはある意味対局にある姿で、
家族愛、自然、故郷や古都への想い。

その想いは古建築を集めて造園を行い、
市民に無料開放していた三渓園にも反映されている。

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三人目は関学の文学部准教授。
中国の近現代文学が専門で、市民研究会の漢詩研究を指導中。

現在、市場には出てないのだけど、
原三渓の漢詩は「三渓集」として編集されており、
その中から、いくつかを取り上げながら専門的な深い解説。

転載できなかったので、この場で詳しくレポ書けないんだけど、
読み解きという部分では、漢詩は深いし面白いと思ったよ。

ただ字面を追えば、伝わってくるものではなく、
漢学や漢詩の基礎や約束事をベースに楽しむものなので、
そういうものが教養の主流から外れている現代では新鮮に思えるな。

”文如其人”ということで、やはり詩には
古人に学び、世間に染まらないという三渓の人柄が現れている。

題材としては花、山水、田園、月。
日本の伝統文化が失われていくことへの憂い。
自己の心情や人生の観照。横浜の風景など

草木については中国で愛されている梅や、高い人格を示す竹の描写が多く、
日本的な感覚というよりは、漢学の影響を強く感じる。
特に李白を意識しているようだ。

横浜のことは”金港”や”江城(武漢)”と呼び、
また「新涼」という題で、開港をへて寂しい浜へ新風が吹く様を描いている。

この詩は度々手直しされているのだけど、
個人の心象から、公の視点へと変わっていくような変化も見られるみたい。

美術品収集のように個人の趣味を追い求めた一方で
市民として、公に対する責任感の強い人であった。

震災後、復興に尽力することを誓う詩は
テクニックをかなぐり捨てた生々しい物。


ということで「原三渓と漢詩」ってテーマでした。
なるほど、こういう切り口かっていう意外ですね。

私などはそもそも表の顔をよく知らないので、
実はこういう面があったんだ的な感慨は薄いかな。

むしろ気になるのは、経済人としてハマの激動を乗り切ったストーリーよ。

また、バイト先生してた女学院にいた原家の孫と結婚してるというね!
この玉の輿のドラマですよね!ラノベ書けるよね!

婿入りした原家はすでに大財産を築いており、
三渓自身も稼ぐ以上に道楽したような気もするんだけどな。

そんな感想でした。

次回はなんと「横浜と黄金町の街づくり」だって!

ツッコミどころ満載だと思うのですが、
奴らが外部にどんなことを吹いているのか
とりあえず、おとなしく聞いておこうと思います。

大岡川にマングローブ蟹?

週末は生憎のお天気でしたね。

諸々の春食イベントの他、
近所では桜祭りも開かれていたのですが、

・・・・寒みぃ~わ、

つーことで、スマホのMMORPGを
入れては消し、入れては消しつつ、無為に過ごしてしまいました。

例によって、ミサイル超獣さんのレポを堪能しつつ、
自分も行ったつもりというパターンであります。


さてさて、文中にありました。
大岡川沿いマンションで見かけた謎の蟹売り。

やっぱ、気になっちゃうよね!

なにやら、普段は高級レストラン向けの卸をしている会社らしいのですが、
お祭りに合わせて、PRも兼ねての特別販売をしているそうですよ。

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扱うのはなんとマッドクラブでした!
南洋の料理で出てくるようなアレですよ!

なぜゆえこんな場所に、こんなお店が。

その意外性、ミスマッチがたまらず、
先だって、ついつい一匹、求めてしまいました。

変わった蟹を買ってきたよ~!って帰ったら
ああ、ガザミじゃん、と袈裟斬り。

なるほど、日本でも穫れるもんなのね。

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んでもって、こんな中身です。

味噌も濃厚ですし、身の味もおいしいですよ。

ただ、土っぽさというか独特な風味がほんのりあり、
和蟹のように蒸したてをそのままいただくよりは、
中華風やチリなどで調理して食べるほうがあってるような気もします。
また、味付けに負けない強さがあります。

店頭で蒸し売りの試食もいただいたのですが、
やはり活きを買って、自分ちで蒸した方が良さそうです。

扱いも丁寧に教えてくれましたよ。

氷水に浸けて〆るのですが、
完全にはお亡くなりにならず、ビクビクで殻周りの掃除。

だって、こいつハサミがすげーデカイから!
本気出されたら指ぐらい持ってかれそうで!!!

そんな感じのご報告。
写真はとりあえず撮っておくもんだね。
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