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「横浜学 ~横浜とみどり~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座「横浜学」

第24回目のテーマは”横浜とみどり”

「全国都市緑化よこはまフェア」の開催に合わせた話題だと思います。
最近の横浜学は歴史だけでなく、横浜の現在や未来を窺える話題も増えてきており、興味深いですよね。

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一人目の講師は関学経済学部の教授。
自らも制定に関わった横浜みどり税についてのお話です。

1970年代の横浜は緑被率が50%あり、港と緑の調和する都市であった。しかし、開発が進むにつれ、80年代には40%、そして2009年には30%まで緑の割合が減ってしまっている状況。

これになんとか歯止めをかけたいということで「横浜みどりアップ計画」が策定される。その税源として導入されたのが横浜みどり税。

年間約25億円の費用について、企業から市民税に+9%、市民は+900円の徴収で賄う形。5カ年の期間限定で計画された税だったが、さらに延長し、現在はその第2期目に当たる。効果が評価されているので、やがては一般税化していかねばならないだろう。

第1期の成果として、地主が維持できなくなった山林の買い取りが64.5ha、地主所有のまま、保全林の指定を行った分が500ha。その他、農地の保全や公演等の緑化に使用された。

保全林に関しては、維持管理のため、市からお金や人のサポートが受けられる仕組みで、まずはこれに登録してもらうことで、地域ぐるみのサポートやいざという時の取得に繋がっていくため、非常に重要。

施策は新たに緑を増やすというより、今ある緑をいかに残していくかということに重点が置かれており、風景は大きく変わらないため、目に見える効果としては認識しづらいかもしれない。

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2人目に講師は里山NPOの方。
お話は里山の保全活動についてです。

横浜には原生林は殆ど残っておらず、現在残っている林は人の手が入ったもの。

里山はもともと人家の裏山というような意味で、かつては近隣に暮らす人々に管理され、人と自然が共生する循環型の生活の場であった。横浜では特に谷戸の風景が多い。

しかし、生活様式の変化、たとえば薪を拾うような生活でなくなっているため、現代では里山との関係が希薄になり、減少の背景ともなっている。

メダカが絶滅危惧種になるように、かつては身近な存在だった生物や風景が姿を消しつつある状況。

目下、里山保全には多くのボランティアが参加して、地域のつながりにもなっている。ただ、逆に人の手が入りすぎて、露地化してしまう懸念や、活動者の高齢化の問題を抱えている。若い世代は自然の中で暮らした原体験が無いため、なかなか後に繋がっていかない。

横浜市の緑は人口1人につき4畳半程度で、空気や資源、農作物に関しても自給には至らない。身の回りの風景だけではなく、他の地域から助けてもらって、暮らしている意識も忘れてはいけないだろう。

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3人目は横浜市のみどりアップ推進部長。
「横浜みどりアップ計画」と「全国都市緑化よこはまフェア」のお話です。

横浜はモザイク状の樹林地が特徴で、身近なところに緑を感じられる街。

市街化調整区域は市全域の25%。
市西部にある河川源流域や農地等、緑の10大拠点といわれる緑地が存在する。

みどりアップ計画では、①緑の減少に歯止めをかけ、総量を増やす ②緑の質を高める ③市民と緑の関わりを増やす という目標を立て、森林や農地の保全、街路樹等の整備や各種PRの事業を行っている。財源はみどり税だけでなく、国税、市税、一般会計からも当てられている。

今回横浜での開催が33回目となる都市緑化横浜フェアではサクラ、バラ、チューリップがテーマフラワーになっている。

臨海部のみなとガーデン、郊外の里山ガーデンの2会場に約100万本の草花を展開。来場者からも高い好評を得ている。


座談会では、横浜の都市機能を考えるとさらなる市街化、緑被率の低下に歯止めをかけるのは難かしいため、残る緑の質をいかに高めていくかが重要になってくること。

緑化に関しても、外来のキレイな草花と土着の動植物を比べると、前者は対外アピールも強いが、後者はどうしても地味。今後横浜の緑のあり方について、どういう方向性を示すべきかということ。

また、質疑では、従来の里山を保全するのではなく、より維持の容易な原生林にしていく方が良いのではないかという問いについて、どの時代の林に戻すべきなのか、鬱蒼と荒れた環境に周囲の人々は耐えられるか、またかつての原風景や里山生活の文化を途切れさせて良いのだろうかという回答がありました。

「横浜学 ~横浜とアメリカ~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座「横浜学」

第23回目のテーマは”横浜とアメリカ”

なんか、Tボーンステーキのように壮大なテーマだなと思っていたのですが、実際は本牧界隈のお話で、チョリソーくらいのサイズでしたね。

ジャズファンなのか?今回の会場はすごく盛況でしたよ。

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一人目の講師は関学の欧米文化論と音楽評論の先生。
お話は1960年代の音楽とゴールデンカップスについてです。

大衆音楽の歴史は20世紀初頭にアメリカから始まる。
エジソンの発明したレコードの普及をきっかけに、レコード会社が設立され、ラジオ等の放送を介して大衆に伝播していくような、今日の音楽産業のプロトタイプが形成された。なお、日本におけるレコードの歴史は昭和3年から。

かつての横浜には”フェンス越しのアメリカ”と呼ばれた進駐軍の施設があり、軍全体の1/4にあたる大人数が駐留していた。彼らが夜の街を通して本場の音楽を直に伝えた。

美空ひばりや江利チエミなどは米軍向けラジオを通じて洋楽に触れ、PXは最新レコードや雑誌の調達場所になっていた。また、逗子や鎌倉はオフリミット地区として、米軍の保養所となり、後にサーフィンなどの文化を残した。

音楽の背景として横浜はビートルズを産んだリバプールと同じ港町であったことが挙げられる。かつての奴隷貿易と同様に、進駐軍を通して黒人文化に触れた街であったことが土壌となっている。

グループサウンズの源流もアメリカといえる。
まず進駐軍がもたらしたジャズが流行り、カバーポップスやエレキを経て、GSにつながっていく。GSはロックのリズム、歌謡曲のメロディ、そして来日したビートルズに影響されたアイドル性を擁するものだった。

本牧のバーから生まれたゴールデンカップスはGSのグループであったが、ライブなどでは「長い髪の少女」のような商業的なヒット曲を歌わず、本場の最先端のロックやR&Bを演奏した。「長い髪の少女」のB面「ジズ・バッド・ガール」などを聞けば分かるが、バンドの本質はそっちにあった。

先生曰く、歳を重ねると、当時馬鹿にしていたGSがすごく染みてくる。様々な音楽経験を経て、やっと分かるものがあるとのこと。それは絶対ノスタルジーだと思います!老人が童謡に回帰する感じの!

また、途中で当時を振り返るドキュメンタリーの一部を観たのですが、ちょうどベトナム戦時下だったこともあって、本牧界隈のナイトシーンは我々が想像するよりもずっとビリビリしたもんだったようですよ。”怖い”とか”荒々しい”とか”異様”というような単語が出ていたもんな。また、60年代の横浜は東京よりも遥かにオシャレで、流行の最先端として強烈なイメージを残したのだそうな。

つっても、今は不良ジジィくらいしか残ってないけどね!

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二人目の講師は東京音大の教授。
プログレロックのキーボードプレイヤーでもあるようです。
お話は日本のジャズシーンについて。

大正時代、米国と日本を行き来する多くの客船に専属の楽団が置かれ、彼らが現地の音楽を持って帰った。これがジャズの黎明。

当時のジャズはアドリブなしのダンスミュージック的なものであった。大正10年には花月園ダンスホールで座付きのハタノ・オーケストラによる演奏が始まる。本牧や山手あたりには”チョップハウス”が語源とされる”チャブ屋”が点在。表向きはダンスホールとして、実体は娼館として営業していた。

大正14年には伊勢佐木町の喜楽座(日活のあった場所)にて、米国巡業を成功させた奇術師の松旭斎天勝が現地のジャズ奏者を引き連れ凱旋公演。音楽と演芸、寸劇を組み合わせたこの公演スタイルは、後のボーイズ芸やコミックバンドの源流となったのではないか。

昭和になるとスイングジャズが流行して、昭和8年の「ちぐさ」などのジャズ喫茶がオープン。

戦中は敵性音楽とされ鳴りを潜めたジャズであったが、戦後はOCやEMなど米軍施設の娯楽として、日本の軍楽隊のOB等が派遣され演奏した。また、本国から兵士慰問用に送られたVディスクを通じて、日本の奏者やファンにも流行が伝わっていく。クランベ―ク(焼はまぐり→横浜)やCB9等、日本人の本格ジャズバンドも生まれ、黒人クラブなどの厳しい聴衆を相手に人気を博した。

朝鮮戦争を経て、主に米兵向けだったジャズは、日本人向けにもシフトしていく。その後、ロカビリー、ポップス、カントリーなどの流行を経て、GSにつながっていく。

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三人目の講師はDJのロバート・ハリスさん。
若い頃、界隈でやんちゃしたお話でした。

日英ハーフで12歳から21歳まで横浜で暮らす。
通っていたセント・ジョセフは宗教色の強い変な学校だった。

様々な国籍の生徒が学ぶインターナショナルスクールを基本として、遊び歩いていた当時の伊勢佐木町などに溢れる日本の大衆文化が交じるカオス、ちゃんぽんの環境のおかげで、その後の世界放浪を何の違和感もなく過ごせた。

当時、中華街はお店の半分はGI相手のバーで、今とは様相が違っていた。

その他、いろいろ個人的な逸話があったんだけど、書き起こしづらいかな。詳しくは自伝を読んでねって感じ。先段の本牧ドキュメンタリーに出てくるような遊び人はだいたいリア友ですってノリで、おそらく、世代を共有する人にはたまらん昔話だったのではないかな。

なお、次回は「横浜とみどり」だそうです。

「和食を支えるだしの健康機能」を聴いて

先だって、日大の生物資源科学部で行われた公開シンポジウム「食機能としての”食欲”を考える」を聴いてきました。

これが、なかなか面白い内容だったので、お土産話をまとめてみようかと思います。長いので、何度かに分割してね。

第一回目は味の素の研究員の方が講演されたかつおだし研究のお話です。

我々がだしを好むのは、単に”旨いから”というだけでなく、何らかの健康機能があるからではないか。そしてその嗜好は学習によって強化されていくのだというとこが特に面白かったな。


「和食を支えるだしの健康機能~消化管から脳まで~」


日本人は高寿命で肥満も少ないが、これは食生活の影響でもある。和食で重要な役割を果たしているのがだしで、これによって欧米食に比べ、油やカロリーを抑えた食事に満足感を補うことができている。

しかし、戦後に日本人の食生活は欧米化が進み、それに比例して、だしの購入額は減ってきている。このままではマズイということで、ユネスコの無形文化遺産登録など、和食保護の動きが高まっている。

”おいしさ”とはなにか
おいしさの感じ方は人それぞれに違っている。単に味覚だけの話だけではなく、見た目や食感や香り、健康状態や食事のロケーションも関わってくるからだ。また子供の頃に分からなかった鮒ずしの旨さが大人になって分かるようになったり、食の経験を積むことも重要な要素といえる。

”だし”とはなにか
だしとはグルタミン酸、グアニル酸、イノシン酸などを水や油で抽出したもの。さらにこれら旨み成分だけでなく、天然出し由来の香りや飲んだ後に消化管から立ち上ってくる何かも構成要素となる。

かつおだしについて
かつおだしの成分を見ると、旨味成分であるイノシン酸は3%程度であまり多くは含まれておらず、乳酸やヒスチジン、クレアチン、アンセルやミネラル等、むしろ苦味や酸味がほとんどである。欧米人はこれらを魚臭さや生臭みとして嫌う。

だしの経験学習
では、なぜ、日本人はかつおだしをおいしく感じるのか。それは単に味やこ香りの好ましさ故でない。遺伝子や現行の食事内容の他、経験学習が重要になっていると思われる。

水とだしを比べた、ラットの実験では、初日には同程度に飲まれていた両者が、日を追うごとに、だし優位となり、その嗜好性が著しく高まっていく結果が得られている。

また、別の実験では、だしを摂ると油の嗜好は抑えられ、逆に油を多く摂るとだしの嗜好は抑えられるという結果も出た。

かつおだしの健康効果
かつおだしについては、油や糖と違って、摂取の際に脳の報酬系は関与しないことが分かっている。では何でもって、摂取を動機づけされているのか。何か他に我々の健康に寄与する機能が存在からではないか?

かつおだしを飲んだ後に様々な検査をしたところ、胃の電気活動や唾液分泌が促進された。また胃の排出速度を遅くすることが分かった。さらに空腹感を抑制して、満腹感を上げる効果も測定された。つまり消化や腹持ちがよくなったということである。これが低カロリーの健康食である和食を支えている。

また、だしを飲んだ後になんだかほっとするように、身体だけではなく心にも良く、ラットの実験では攻撃性や不安を抑える効果が見られている。その他、疲労回復や高血圧の抑制の効果もある。


とにかく、だしはすげぇな!というお話でした。だし飲まなきゃな!

ただ、私のようなデブ食を安易に続けていると、出汁の嗜好性は抑えられてしまうようで、安易にカロリーに釣られず、気をつけて、だしを摂ってかなきゃいけないなと思った!

あと、味が薄いとか言われて、欧米人に和食の旨みが伝わりづらいのは、和食を食べる続ける経験が必要だからなんだな。そういった意味でも、家庭での食育が重要になってくるみたいです。

すごく面白いお話でしたよ。
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