恰幅の良い彼のblog
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「イップ・マン 継承」を観たよ

Huluのオンライン試写で、楽しみにしていたド兄映画を観ましたよ!
ネットの試写会って初めてだな!

操作は通常の動画鑑賞とほぼ一緒。
当選者にメールで動画アドレスが送られてきて、指定された4時間の中で試写をスタートする必要があります。なお、期限を過ぎて以降は、視聴中断すると戻れなくなるみたいよ。

ちょうど、夕飯時だったし!
せめて半日くらいは時間に猶予があっても良かったかな。でも、画面の半分で艦これやりながら、気になったことは検索しながら、楽な体勢でダラダラ観られるし、そのままの流れで関連作も観られるしで、なかなか快適な試写でした。

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映画は詠春拳の達人イップ・マンを主人公にしたシリーズ3作目。奥さんとかデブ刑事とか、前作から継続出演しているキャラもいます。

実在の人物といっても物語は基本的に創作で、ほんとは奥さん連れてきてないじゃん的な史実との相違だったり、故郷にいられない原因は共産党じゃんか!的なツッコミどころもありますよね。

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今作は、香港で武館を開き、家族とともに平和に暮らすド兄に、小学校の地上げを目論むヤクザが襲いかかる!そして、ギラついた若手の台頭!奥さんも大変!という流れ。

オープンニングの枯れ味漂わす木人稽古シーンよ!そっから、武館を訪れる生意気な青年、怪鳥音を放ち、妙にしゃくれた謎の青年!を軽々いなし、悪くはないね的な笑みを浮かべる冒頭だけで、もうお腹いっぱいなのであります。某ブルースには遠慮なく乗っかっていく定番を回収です。

アクションはやはり最高で、チンピラたちを次々伸していく様、人質救出の大立ち回り、奥さんを守りながらのEV内バトル、タイソンとの死闘、そして、という感じで、それぞれ、アイデアと工夫が詰まっています。ド兄もシリーズで最も師父的な円熟ぶりを魅せ、3作でちゃんと変化がついてます。

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1はどうしちゃったのってくらい唐突に日本鬼子憎し!な話になりますし、2は西欧のクソ野郎を叩きのめす!な展開で、いずれも中国人としての意地みたいなものが根底に描かれます。

3は層の手の短絡的な話でなく、もうちょっと内省的になっているのかな。テーマは家族で、映画としてもしっとりと丁寧に描かれている印象です。アクション以外のド兄の演技も地に足がついてたな。奥さんとのラブラブダンスシーンとかも見どころ。

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タイソンがラスボスかと思ってたら違ったの!

ちなみに前作のボスも白人ボクサーでしたが、やっぱ存在感が違うな。
ステップは若干重げですが、それでも、元ヘビー級世界チャンプの迫力や怖さみたいなのは遺憾なく発揮されておりました。詠春拳のパパパパパンチが全く効いてる感じしないもんね!

まぁ、アクション指導でもあるサモハンが、ロッキー3で言うところのアポロ的な位置でおいしいとこをごっそり持っていく2も大好きですけどね!

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若手枠だと1、2のルイス・ファンも骨太でかっこよかったですが、今回のマックス・チャンもすっごく良かったですね。

考えてみれば、ド兄も53歳だし、以降の香港武術スターは誰なんだと言われると、心もとなくもあります。レジェンドクラスだと、単なる演者にとどまらず、自分でアクションを組み立てて切り開いていかねばならないとこが特殊事情です。若い世代に上手くつながってほしいなと思います。

カンフー映画も、京劇スタント時代、その後のワイヤーピュンピュン時代とは違い、地に足の着いた感じになってきていますな。昔のジャッキー映画で観る師父はすぐキレるし、尊大頑迷だったり、アル中だったりで、やたら器が小さいよね。中国の師弟関係は大丈夫なのかと、心配しちゃうのですが、今回のド兄師父は懐も深く、やる時はやる感じでかっこよかったわ。

最後に、題名に”継承”ってついてるけど、何が継承なのかさっぱり分かんなかったわ!売れたし、もう1作いけるよってことかな!

「横浜学 ~横浜とアメリカ~」の感想

関東学院大学と横浜ウォーカーのコラボ講座「横浜学」

第23回目のテーマは”横浜とアメリカ”

なんか、Tボーンステーキのように壮大なテーマだなと思っていたのですが、実際は本牧界隈のお話で、チョリソーくらいのサイズでしたね。

ジャズファンなのか?今回の会場はすごく盛況でしたよ。

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一人目の講師は関学の欧米文化論と音楽評論の先生。
お話は1960年代の音楽とゴールデンカップスについてです。

大衆音楽の歴史は20世紀初頭にアメリカから始まる。
エジソンの発明したレコードの普及をきっかけに、レコード会社が設立され、ラジオ等の放送を介して大衆に伝播していくような、今日の音楽産業のプロトタイプが形成された。なお、日本におけるレコードの歴史は昭和3年から。

かつての横浜には”フェンス越しのアメリカ”と呼ばれた進駐軍の施設があり、軍全体の1/4にあたる大人数が駐留していた。彼らが夜の街を通して本場の音楽を直に伝えた。

美空ひばりや江利チエミなどは米軍向けラジオを通じて洋楽に触れ、PXは最新レコードや雑誌の調達場所になっていた。また、逗子や鎌倉はオフリミット地区として、米軍の保養所となり、後にサーフィンなどの文化を残した。

音楽の背景として横浜はビートルズを産んだリバプールと同じ港町であったことが挙げられる。かつての奴隷貿易と同様に、進駐軍を通して黒人文化に触れた街であったことが土壌となっている。

グループサウンズの源流もアメリカといえる。
まず進駐軍がもたらしたジャズが流行り、カバーポップスやエレキを経て、GSにつながっていく。GSはロックのリズム、歌謡曲のメロディ、そして来日したビートルズに影響されたアイドル性を擁するものだった。

本牧のバーから生まれたゴールデンカップスはGSのグループであったが、ライブなどでは「長い髪の少女」のような商業的なヒット曲を歌わず、本場の最先端のロックやR&Bを演奏した。「長い髪の少女」のB面「ジズ・バッド・ガール」などを聞けば分かるが、バンドの本質はそっちにあった。

先生曰く、歳を重ねると、当時馬鹿にしていたGSがすごく染みてくる。様々な音楽経験を経て、やっと分かるものがあるとのこと。それは絶対ノスタルジーだと思います!老人が童謡に回帰する感じの!

また、途中で当時を振り返るドキュメンタリーの一部を観たのですが、ちょうどベトナム戦時下だったこともあって、本牧界隈のナイトシーンは我々が想像するよりもずっとビリビリしたもんだったようですよ。”怖い”とか”荒々しい”とか”異様”というような単語が出ていたもんな。また、60年代の横浜は東京よりも遥かにオシャレで、流行の最先端として強烈なイメージを残したのだそうな。

つっても、今は不良ジジィくらいしか残ってないけどね!

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二人目の講師は東京音大の教授。
プログレロックのキーボードプレイヤーでもあるようです。
お話は日本のジャズシーンについて。

大正時代、米国と日本を行き来する多くの客船に専属の楽団が置かれ、彼らが現地の音楽を持って帰った。これがジャズの黎明。

当時のジャズはアドリブなしのダンスミュージック的なものであった。大正10年には花月園ダンスホールで座付きのハタノ・オーケストラによる演奏が始まる。本牧や山手あたりには”チョップハウス”が語源とされる”チャブ屋”が点在。表向きはダンスホールとして、実体は娼館として営業していた。

大正14年には伊勢佐木町の喜楽座(日活のあった場所)にて、米国巡業を成功させた奇術師の松旭斎天勝が現地のジャズ奏者を引き連れ凱旋公演。音楽と演芸、寸劇を組み合わせたこの公演スタイルは、後のボーイズ芸やコミックバンドの源流となったのではないか。

昭和になるとスイングジャズが流行して、昭和8年の「ちぐさ」などのジャズ喫茶がオープン。

戦中は敵性音楽とされ鳴りを潜めたジャズであったが、戦後はOCやEMなど米軍施設の娯楽として、日本の軍楽隊のOB等が派遣され演奏した。また、本国から兵士慰問用に送られたVディスクを通じて、日本の奏者やファンにも流行が伝わっていく。クランベ―ク(焼はまぐり→横浜)やCB9等、日本人の本格ジャズバンドも生まれ、黒人クラブなどの厳しい聴衆を相手に人気を博した。

朝鮮戦争を経て、主に米兵向けだったジャズは、日本人向けにもシフトしていく。その後、ロカビリー、ポップス、カントリーなどの流行を経て、GSにつながっていく。

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三人目の講師はDJのロバート・ハリスさん。
若い頃、界隈でやんちゃしたお話でした。

日英ハーフで12歳から21歳まで横浜で暮らす。
通っていたセント・ジョセフは宗教色の強い変な学校だった。

様々な国籍の生徒が学ぶインターナショナルスクールを基本として、遊び歩いていた当時の伊勢佐木町などに溢れる日本の大衆文化が交じるカオス、ちゃんぽんの環境のおかげで、その後の世界放浪を何の違和感もなく過ごせた。

当時、中華街はお店の半分はGI相手のバーで、今とは様相が違っていた。

その他、いろいろ個人的な逸話があったんだけど、書き起こしづらいかな。詳しくは自伝を読んでねって感じ。先段の本牧ドキュメンタリーに出てくるような遊び人はだいたいリア友ですってノリで、おそらく、世代を共有する人にはたまらん昔話だったのではないかな。

なお、次回は「横浜とみどり」だそうです。